レヱル・ガァデン

いつも心に鉄道を。

E217系クラY-132+Y-141編成、長野総合車両センターへ。

本日、E217系クラY-132編成とY-141編成が鎌倉車両センターから長野総合車両センターへ配給輸送されました。廃車の為と思われます。

牽引機はEF64 1030でした。

 

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配給列車の写真が大爆死したので、現役時代のカットを紹介します。

 

~現役時代の姿~

23年改正前最後の夜。老番列番が見納めに。

戸塚カーブを曲がる。

あっ、しまった!



横浜駅に到着。上の写真のリベンジがしたかったらしい?

結局、これがY-132編成最終記録に。皮肉にもY-18編成もこの便が最終記録だった。

横浜を発車するY-141編成。この日の相棒はY-6だったが・・・。

おーい!その傷どうした!?

このドアコックシール、登場時からのオリジナルだったのだ。

東戸塚駅に滑り込む。

最後のモレラ東戸塚のイルミネーションコラボ。撮影時は所謂「なりかし」の担当。

 

戸塚カーブを曲がる。

 

戸塚駅にて。

本当は翌日、撮影会のはずが参加し損ねてしまった。

これが最後の営業列車記録に。

そして、最高にカッコよくて、最高に懐かしい姿で最後のお別れをしてくれました。

これが私とY-141編成の最後の面会に。

 

 

なお、最終営業列車記録は

 

Y-132編成→昨年9/20の1120S

Y-141編成→2/22の1327S

 

となりました。

 

Y-132編成、Y-141編成、お疲れ様でした。

Y-141編成のクハE216-2001は、あと4ヶ月で30歳の誕生日でしたが、あと一歩及ばずでした。

 

E217系クラY-24編成、長野総合車両センターへ。

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本日、E217系クラY-24編成が鎌倉車両センターから長野総合車両センターへ配給輸送されました。廃車のためと思われます。牽引担当はEF64 1030でした。

 

コイト製作所跡地横を通過する配給列車。

一路長野へ。なお、方向幕は「特別快速」だったらしいが見事に失敗。

本来ならこんな図だったんです。

 

~現役時代の姿~

E235系がまだ出始めだったが、共通運用がほぼE235系担当になり、どうせ235だろと思っていたらやってきて「お」ってなった大学帰り。

逗子以北では「短い」11両、逗子以南では「長い」11両と表現される単独運用。

実を言うと、京急基準の「長い12両」「長い8両」よりも物理的に「長い」のだが。

逗子行終車で逗子に到着し、夜を明かした後に目覚めの体操(?)の時間。

ちょ、ちょっとー!ホームと反対のドア開いてますよ!!

仕業検査なのでご安心を。

うーし、今日も行くで~と大船に向けて出発準備。

ちなみにこの日は、新人教習だったらしく、ベテランの運転士さんが色々新人さんに教えていました。

これからの横須賀線を担うE235系を遠い目で見つめるY-24編成。

横浜駅を走り去る。

この日の相棒がY-101編成だったのはいずれY-101編成引退時に。

なお、この写真は安全な場所から撮影し、トリミングした写真であることを付け加えておく。

潮風あびてスカートが汚れるのはわかるが、もう少し・・・・。

 

なお、最終記録はこの1743Sとなりました。

 

Y-24編成、お疲れ様でした。

E217系クラY-22編成、長野総合車両センターへ。

本日、E217系クラY-22編成が鎌倉車両センターから長野総合車両センターへ配給輸送されました。廃車のためと思われます。牽引担当はEF64 1030でした。

 

今日はこの後所用があるため、大船でお見送り。

よく考えたら「横須賀線」の線路を走るのは大船~戸塚の一駅間だけなので、ここで見送るのもいいのかもしれない。

もう上がらないパンタグラフや、動くことのないコンプレッサ、グリーン車など、見ているとどこか物悲し気に見えてしまう。

 

↓まとめ動画はこちら。

 

~現役時代の姿~

 

東京総合車両センター一般公開時に偶然、車体保全の時期が重なり、スカートを外した姿を晒していた。

「見ないでくれー!」って叫んでいるようにも見えるが、非常に興味深いので覗かせていただきます(笑)

 

 

 

ノントラで引っ張り出される。

ノントラとは、「ノントラバーサー」のことで、これで車体修繕場まで持って行くのだ。

ところでこのノントラ、おいくら万円なのだろうか。

なお、詳しいことはJR東日本テクノロジー様のサイトをご覧いただきたい。

なんせここ、「現役時代」のお話をする場なので・・・・。

 

↓リンクを貼っておくのでどうぞ。

www.ttech.co.jp

運用も撮影地も「過去の物」になってしまった。

運番自体は残っているのだが・・・・撮影地が(以下同文)

夜のY-22編成。この日の相棒はY-127編成。

このY-127編成、KATOで未更新時代(F-77編成時代)が模型化されており、相棒のF-25編成と共に所有しているのだが、長らく「3両欠車」状態だった。

しかしながら、先日、某中古屋でF-25編成の増結セットを見つけ、即購入した。

すなわち、「塗装どころか、モデルになった編成が無くなってから」15両になったというわけ。

今後は足回りをシースルー運転台仕様の未更新車足回りに交換し、モーターをスロットレス化するなど、車体以外ほぼ全更新しようと思っている。

カーブを曲がり、東戸塚へ。

中学時代、合宿を終えて、18きっぷでここまで帰ってきたと実感できたのは、紀文の工場を横目に見て、カーブを曲がり始めた頃だったのを覚えている。

大蛇のように大船駅に滑り込む。それにしても、スカートを綺麗にするのは横クラ入庫後なだろうか、どうも気になる。

何気ない日常。東戸塚駅を走り去っていく姿を後追い。



最終記録となった1043S。

雪をはねのけるように走る姿が本当にカッコよかった。

それにしても、である。

現役時代のカット解説の語彙力が記事を追うごとに減ってきていたりするのはなぜだろうか。

如何せん休職していると文章作成がメール位になってしまうので、いい加減小説の一冊や二冊でも引っ張り出して読んだ方がよさそうだなとふと。

どなたか、おすすめの小説があったらご教授いただきたい。

 

なにはともあれ、Y-22編成、お疲れ様でした。

 

 

E217系リバイバルシリーズ「旧カラー、湘南色コラボ撮影会」に参加してみる。

横クラ有料撮影会は3度目の参加。

実は湘南色の撮影会は2日にもありましたが、湘南色ってなんとなく私もちらっと見たレアな東海道線って記憶しかないので、実質的に「初めまして」な感じなんですよね。

 

でも、想い出が沢山詰まった旧塗装と並ぶのならば話は別です。

こんにちは~。

シャッターが開いた瞬間、あのスカ色のE217系と、「公式ウソ電」とか言われている湘南色E217系が。

ん?なんかおかしいぞと思い、目を凝らしてみると・・・・。

編成番号はおろか、マグサインまで・・・・。感無量です。

 

千マリ表記まで・・・(横クラ表記を剥せば出てくるから当たり前かと思いつつ)

 

イベント中にE259系E233系6000番台がお隣の検査場に「仲間に入れてくれ」と言わんばかりにやってくることもありました。

 

追記

 

お別れ直前、シャッターが半分閉まる迄見送ってよいと言われ、見送りました。

ありがとうね、バイバイ!と言った瞬間、かすかに掃除機のような音が。

Y-2の撮影会のお別れの直前と同じように、コンプレッサが動き出したのです。

 

実は以前のY-101の旧塗装×方向幕撮影会で、涙を流しながら鎌倉車両センターの方にお礼を言った後も、コンプレッサが起動しました。

 

「ありがとう、またね」とY-101...いや、F-51編成が言ってくれたのかなって思っています。

E217系専属ダイヤが消滅。

1994年12月のダイヤ改正から、約30年にわたり、横須賀線スペシャルとして君臨してきたE217系ですが、2024年3月改正で、ついに「専属運用」が消滅してしまいました。

ダイヤ改正後は、E235系との共通運用である、下2桁が「00~29」の14運用のみ(ただし01Sは土休日終日鎌倉留置のため、土休日は13運用)となり、代走を除いて31~93運用から撤退してしまいました。

 

また、今回の改正では「鹿島神宮行」運用、成東発の快速運用も消滅しています。

 

これはい

※佐原行だけ現地に行けなかったので、件の撮影会の幕で代用しています。

 

これが意味することは、E217系

 

成田線 成田~佐原

鹿島線 佐原~鹿島神宮

総武本線 佐倉~成東

 

から撤退したという事です。