レヱル・ガァデン

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夜行高速バスのパイオニア「ムーンライト号」なぜ運行休止? 「はかた号」の先輩


日本における夜行高速バスの基礎を築いたふたつの「日本初」
 日本における夜行高速バスの歴史のなかでもエポックメイキングな路線であり、「夜行高速バスのパイオニア」とも呼ばれている「ムーンライト号」の運行が、2017年3月31日(金)をもって休止されることになりました。

【写真】1997年導入の、西鉄・シートメーカー共同開発の夜行高速バス用座席

 夜行高速バス「ムーンライト号」は、1983(昭和58)年3月24日に阪急バス(現・阪急観光バス)と西日本鉄道(以下、西鉄)が大阪~福岡間で運行を開始しました。運行歴が30年以上というのは、日本の夜行高速バスのなかでも老舗の部類で、「ノクターン号」(横浜・品川・浜松町~弘前五所川原)とともに「夜行高速バスのパイオニア」とも呼ばれています。

 なぜ「夜行高速バスのパイオニア」と呼ばれているのか、その理由はふたつの「日本初」を採用したからです。ひとつは、日本の夜行高速バスでは初めて、起終点のバス運行事業者が同条件で相互に営業・施設を提供し、収入を配分する「共同運行方式」を採用したこと。車両の仕様もカラーも統一して、利用者へ事業者によらない同じサービスを提供するという現在の夜行高速バスでは一般的な仕組みは、「ムーンライト号」が確立したといわれています。

 そしてもうひとつは、日本で初めて3列独立シートを採用したことです。3列独立シートは、1986(昭和61)年に登場した2代目専用車両で採用されましたが、隣の人を気にせずに安心して眠れることから好評を得ました。あわせて、中央階下トイレや床下交代乗務員仮眠室も「ムーンライト号」が初採用です。

 いずれも、現在は日本国内を運行する夜行高速バスの“標準仕様”として広く認知されていますが、逆に「ムーンライト号」が運行されていなければ、今日の夜行高速バスの発達はなかったのかもしれません。
日本最長夜行高速バス「はかた号」につながっている「ムーンライト号」
 バブル期の1989年から1990年代前半にかけて、「ムーンライト号」は“黄金期”ともいえる時期を迎えます。

 1989(平成元)年から1990(平成2)年にかけては、兄弟路線である「サガンウェイ」(大阪~佐賀・唐津)、「ちくご号」(大阪~久留米・大牟田・荒尾)、「やまと号」(奈良・天理~福岡)、「山笠号」(神戸~福岡)、「きょうと号」(京都~福岡)が運行を開始したほか、1990年2月には「ムーンライト号」にノンストップ便、北九州止まり便(のちに筑豊地区に延伸)が新設されました。

 使用車両においても大幅な改善が行われ、1989年に導入された3代目の「ムーンライト号」専用車両では、西鉄とシートメーカーが共同で開発した夜行バス専用シートを採用したほか、同時にバスボディメーカーの西日本車体工業(現在は解散)と共同で夜行バス専用車体を開発。「ムーンライト号」に投入しました。シートと通路を仕切るフェイスカーテンなどとあいまって、最高水準の快適性を追求。「ムーンライト号」でつちかったノウハウは、のちに運行を開始した日本最長夜行高速バス「はかた号」専用車両の開発にも生かされました。

 これら施策が「ムーンライト号」の利用者増加につながり、最盛期には帰省シーズンに10台近くの続行便を従えて運行するといったことも珍しくありませんでした。

夜行高速バスのパイオニア「ムーンライト号」なぜ運行休止? 「はかた号」の先輩
名門夜行高速バス、なぜ休止に? かつてないほど厳しくなった環境
 ところが、バブル崩壊のあたりから、「ムーンライト号」をはじめとする関西~福岡間の夜行高速バスに人気の陰りが見え始めます。1999(平成11)年までに多くの兄弟路線が軒並み廃止されたほか、「ムーンライト号」でもノンストップ便や北九州・筑豊系統が廃止され、大阪~北九州・福岡系統に一本化されます。このころは、不景気による利用客の減少や、事業者側の路線リストラ、山陽新幹線や航空機の利便性向上、航空運賃自由化が始まった時期とも重なりましたが、それでも路線としては何とか持ちこたえてはいました。

 この状況に追い打ちをかけたのが、旧高速ツアーバスの台頭と、Peach(ピーチ)をはじめとするLCC(格安航空会社)の登場です。当時、片道1万円であった「ムーンライト号」の半額近くで移動できた旧高速ツアーバスLCCインパクトは大きく、若者を中心に利用者が旧高速ツアーバスLCCに流れてしまいました。さらに、ここ数年来の山陽新幹線における格安きっぷの投入や、瀬戸内海を経由して北九州と関西を結ぶフェリーの台頭(パック商品や新造船の投入)など、「ムーンライト号」を取り巻く環境はかつてないほどの厳しさになっています。

「ムーンライト号」を運行する阪急観光バス西鉄も、神戸三ノ宮やUSJへの停車、京都への延長、カレンダー制運賃の導入などといった対抗策を講じましたが、厳しい収支を改善するには至らず、このたびの運行休止という判断に至ったそうです。
「ムーンライト号」復活はありうるのか? 「廃止」でなく「休止」の意味
「ムーンライト号」の運行休止後は、かつて高速ツアーバスとして運行していた夜行高速路線バスと、大阪・神戸と北九州のあいだを結ぶフェリーが、関西~福岡間のおもな夜行交通機関となります。

 今回、2017年2月23日に西鉄が発表した「ムーンライト号」に関するプレスリリースでは、「廃止」ではなく「休止」と表現されており、将来の復活運行に含みを持たせている印象を受けます。しかし競合交通機関も多く、熾烈(しれつ)な競争を繰り広げている関西~福岡間において、運賃やサービス面で優位に立てる「売り」がなければ、仮に「ムーンライト号」を復活しても厳しい結果が待ち受けているのではないでしょうか。今回の「運行休止」は、事実上の「運転終了」になる可能性が高いと思われます。

 運行休止まで残り20日ほど。日本の夜行高速バスの基礎を築いた「ムーンライト号」は事実上まもなく、その歴史に幕を閉じようとしています。